Shows / すがマロRADIO

Episodes

すがマロRADIO第430回 人を救けるには
人を救けるには誠の心。一つの言葉優しいというは、誠の心である。(おさしづ)たすかりの姿や誠の心は、少しイメージしにくいかもですが、言葉を優しくするのは分かりやすいですね。


すがマロRADIO第427回 人をたすける言葉
“口さきのついしよはかりハいらんもの しんの心にまことあるなら”言葉一つで、相手を喜ばせることもでき、また悲しませることもできます。心を変えるには、まず言葉から意識してみるのもいいですね。

すがマロRADIO第425回 登る道は幾筋も
「頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで。」のぼり方は人それぞれ。自分の道をしっかりと見据えて、頂上目指して登っていきたいものです。

すがマロRADIO第423回 心一つが我がのもの
この世界でたった一つ我がのものである自分の心。その心をどう使うか。これを教えられたのがお道の教えです。自分のものである自分の心のあり方は、どこまでも自分次第なのです。

すがマロRADIO第421回 信仰の前提
信仰に対して、どんな前提を持っているのかで、同じ話を聞いても、感じ方、受け取り方が変わります。自分の信仰に対する前提を見つめてみると、自分の信仰がより分かってくるかもしれません。
すがマロRADIO第420回 教祖六十年祭
第二次世界大戦後の昭和21年につとめられた年祭です。焦土と化した日本でしたが、明確に復元を期してつとめられ、みかぐらうたが元通りになりました。また、三年後には教典も編纂されるなど、力強く立ち上がる第一歩の年祭でした。
すがマロRADIO第419回 ふしから芽を出すひながた
一里の道も、急いて行っては、しんどいと言わにゃならん。十里の道でも、ぼち/\行けばその日に行ける。ぼちぼちと倦まず弛まず進むためには、ひながたを我が生き方の指標とすることが大切です。




すがマロRADIO第414回 教祖四十年祭
教祖四十年祭は、天理教が田舎の宗教から大きく飛躍した年祭とも言えます。五年前から教勢倍加運動が提唱され、指数関数的な伸びが見られました。おぢばで説かれる教理と、教会のおたすけ活動が合致したのでしょう。
すがマロRADIO第413回 神がみている
この道というのは陰で徳を積んでいく道。人にみせたり聞かせたりするのではありません。人に礼をうけたら、神が受け取る道はない。陰徳は末代つづく道、たすかる道。これを神様はのぞんでおられます。
すがマロRADIO第412回 教祖三十年祭
20年祭後は、本席さまお出直し、一派独立、婦人会創立、神殿普請、初代真柱さまお出直しなど、悲喜交々の10年でした。30年祭は新しく完成した神殿にて執行。この時から陽暦でつとめられるようになります。
すがマロRADIO第411回 すべては導かれている
「皆、吉い日やで」と教えられていますが、都合のいいことが毎日起こってくるわけではありません。その中で、みないい日と感じられるようになるためには、すべて親神様に導かれている、と思い定めることかもしれません。
すがマロRADIO第410回 教祖二十年祭
十年祭のすぐ後に、内務省訓令が発布され、大きな逆風が吹き荒れたお道。念願の一派独立も間に合わなかった二十年祭でしたが、教祖を慕う信者15万人がおぢばに参集。一派独立請願運動の最中で、お道の組織は段々と整備されてゆきました。

すがマロRADIO第408回 楽しめの十分条件
自分がやりたいことをできるから楽しい。自分の思い通りに行くから楽しい。楽だけしておきたい。というのとは、随分違うのでは。身上、事情に込められている神の思惑と正対することが、神様の言われる「楽しめ」の世界ではないかと思います。
すがマロRADIO第407回 どんな心で
教祖は、なにをやったかではなく、その時どんな心でことに当たっていたかを常に見ておられました。日々の生活から、自分はどんな心で物事に打ち込んでいるのかを点検することが、信仰生活の基本となりそうです。
すがマロRADIO第406回 教祖十年祭
教会数は千を越え、帰参者は20万を数えた年祭。信者詰所の前身が続々と建築されるなど、教団として最も伸びた時代かもしれません。この年祭後、内務省訓令が発令され、苦難の道を歩むことになります。
すがマロRADIO第405回 心をしずめる
心をしずめて思案するから、澄んだる水のようになってくると教えられています。「心澄ます」感覚は分かりにくいですが、もしかすると「心しずめる」感覚なら掴みやすいかも。古今東西、心をしずめる方法はたくさんありますが、日々の中でしずめてゆきたいですね。
すがマロRADIO第404回 教祖五年祭
教祖一年祭とは随分と違い、地方庁の認可がおりた状態で迎えた五年祭。三年千日のおさしづも、五年祭を迎える心構えとしての御話の中にあります。各地に教会も続々と誕生していた中で迎えた年祭です。




すがマロRADIO第399回 妬まれない
誠真実の心で考えると、妬まれないよう心を配ることも大切です。本席飯降伊蔵先生の通り方は、妬まれない典型かも。妬み、妬まれの根底には、徳のない姿が浮かび上がってきます。

すがマロRADIO第397回 いつもたすけが急くからに
親神様に急かれるたすけ。だからよふきになりてこいと説かれます。自分で自分の機嫌をよい状態にしておけるようになると、物事のよき面が見えやすくなるのかもしれません。
すがマロRADIO第396回 前提を整える
前提が整っていないゆえに、話が噛み合わない、ということはよくあります。お道の教えの大前提は、かしもの・かりものの教え。これを前提に教えが展開される時、教理が活かされるのでしょう。
すがマロRADIO第395回 教祖の理を思え
節に出会った時、教祖ひながたを思うと、先に全て通ってくださっていることに気がつきます。ひながたを学ぶことは、とりもなおさず自らを救うことにも繋がるのかもしれません。
すがマロRADIO第394回 先に定める
人間は、つい自分のことを棚に上げがちで、自分は変わらないという前提があるように思います。「又めん/\諭す処から、めん/\先に定めにゃならん。先に定めてすれば皆自由そこにある。」自らが先に定めてこそ、自由自在の守護がいただけるのかも。





すがマロRADIO第388回 深いいんねんでも
いんねんの自覚は大切ですが、日々心して通っていなければ、どれだけ深いいんねんであっても理が消えると言われます。成程の理が分かれども、日々の理が分からねば、どうもならん/\/\。(おさしづ)
すがマロRADIO第387回 何でもないところは怖い
なんでもない所ほど、心が緩みがち。怖い所ほど、心を引き締めて通れるものです。親神様に凭れ気を引き締めて通るところ、真の安心に包まれるのかもしれません。
すがマロRADIO第386回 リフレーミングの方法
リフレーミングといっても、さまざまな方法があります。言葉の定義、仮説、時間軸、理由、分解などなど。お道的リフレーミングは、たんのうと将来の楽しみなのかもですね。
すがマロRADIO第385回 見方を変える
悩みや苦しみの側面だけを見てしまうと、そこから抜け出すのは至難の業。見方を変えるだけで、囚われから抜け出すことができます。見方を変えることで、苦しみから抜け出すきっかけを与えておられた教祖の話は多くのこされています。

すがマロRADIO第383回 今日はよかった
終わりよければすべてよしといいますが、古今東西人間は、終わりの出来事が印象深く残るんですね。神様も、「今日はよかった。」と一日を締めくくる大切さとともに、「心配は肥にはならん。」と諭されます。


すがマロRADIO第381回 自意識過剰
自分が他人にどう見られるかを考えすぎることで、しんどくなっていませんか?「人がどう誰がどう、思う事は更々持たず、内々十分の心を持ってくれ。」昔の人も、過剰な自意識を持っておられ、神一条でたんのうすることで克服していたのかもしれませんね。
すがマロRADIO第380回 神は心に乗りて働く
仕切り根性、仕切り力、仕切り智慧、仕切りの道。仕切ってゆくことにより、心は定まり、神様がその心に乗って働くという。神様が働きやすい心は、定まった心なんですね。


すがマロRADIO第377回 いつもニコニコ
人間は自分に都合のよい時にはニコニコ勇むことができます。しかしひとたび苦しい事情にあったりすると、なかなか勇めないもの。おやさまは何時いかなるときといえども、ニコニコとお勇みでした。ですから、どんな時でも、そばの人々も勇みました。

すがマロRADIO第375回 たすけ一条は天然自然の道
「さあ/\たすけ一条は天然自然の道」とおさしづで教えられます。では、天然とは?自然とは?両方に使われる然とは?深く掘り込みながらたすけ一条と天然自然の道について語りました。
すがマロRADIO第374回 おさづけは教祖の手
おさづけは、教祖の親心をなぜる理にて現しているものです。ただ形でなぜるのではなく、教祖のたすけてやりたい真実なる親心を我が心として、なぜるのであると先人は説きました。
