
感情教育ノベーション(1056回)
スタンフォード大学の名誉教授でもあった米国を代表する哲学者のリチャード・ローティさんの考え方に考えさせられました
指南役の哲学者の朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)さん曰く
"小説など誰かを再記述する営み自体が公共的な目標のためにはより役に立つ"
人の苦痛や残酷さに対してのシンパシーが何よりも大事
感情がついてこなければ、そもそも理論が機能しない。
これを感情教育とローティは名付けている"
ここから私は思いました
1、自分の苦痛は自分で表現できない
少し離れた仲間が必要
2、第三者による表現が必要
小説、映画、音楽
3、感情を乗せた表現が必須
大義に感情表現が必要
本当に過酷な状況に陥ってる人は、自分でそれを表現や発信することはできない、という事実に改めて気付かされました
そのためには、誰かが気づいてあげる必要がある。それは、親密な仲間だと同じ境遇にいるか、少し離れた仲間が必要なんだなと
そしてその離れた仲間は、その事実を伝えるときに、報道のように単なる事実だけを伝えることでは意味がない
何故なら、伝わる人たちを動かすためには、感情を動かす必要があるためであると
その表現としてとても良いのが小説。でもそれだけではなくて、映画や音楽なども、感情を伝えるツールとしては、とても良いものかもしれない…
The skinny
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