
【自分は「仲間のかけら」でできている】(837回)
"行為は常に共同的なものです。
勝つも負けるも自分だけの行為ではありません。
和辻哲郎哲学の要約"
ここから私は思いました
1、自分一人はいない
2、仲間と共に自分はいる
3、パッションも仲間のかけら
以前、みんなのかけら、という歌を作ったことがあるのですが
それは、めちゃくちゃ悲しい別れの出来事があった時に、でも、どこかにその人が常に見てくれてるような感覚があって
そのお陰で元気をもらえる、そんな事を歌にしたものでした
それは、今でも自分の中ではふと思う時があって、今は会えない人や、会える人のことを、あいつならきっとこうしたよな、とか、思い出す事があって
それは、きっと、自分の中に、その人のかけらが、生きているんだろうなと、いや、むしろ、自分はほとんどが、今まで出会った人たちのかけらでできているんだろうなと、思ったりします
イノベーション3つのフレームで、パッション、仲間、大義、といっていますが
実は、自らの中から出てくるパッションにしたって、これまで出会った仲間のかけらが、パッションを形作ってくれている、そんなふうに思います
なので、自分のパッション、仲間、大義の間には、双方向の染み出しが沢山あって、お互いにかけらを作りあってて、そして、それはさらに大きなかけらの集合体として、大義を形作っていく、
そんな壮大な、複雑なかけらの成長物語を感じました…
The skinny
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