
蜘蛛の糸ノベーション(1835回)
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』について、僧侶・宗教学者の釈徹宗(しゃくてっしゅう)さんの言葉が、響きました
曰く
「我々がより所にしてるのは、まさに雲の糸のような、かそけきものというか、かすかなものであって、あっという間に転落もすれば、あっという間に成功もしちゃう。それは本当に偶発的な部分も多い。
雲の糸の冒頭、お釈迦様は池の淵をぶらぶら暇だから散歩してて、たまたまカンダタをみつけるんですよね。
だってすごくなんか残酷な表現じゃないですか。たまたま見つけて糸をたらす気まぐれのようなですね。
そういういくつものこう偶発性のかすかなものを我々はよりどころとしてるし、かすかではあるもののそこにしか寄りどころがない
で、それは一歩間違うとあっさりと転落へと行くことは、なるんだっていう芥川の、人間観とでも言いましょうか、世界観みたいなもの」
ここからわたしはおもいました
1、人生は偶発性に左右されざるを得ない
2、我々の拠り所は、かそけき一本の糸
3、善人か悪人かを分けるリップルモデル
1、人生は偶発性に左右されざるを得ない
お釈迦様は、ただ散歩していて、たまたまカンダタを見つけた。そして、たまたま糸を垂らした。
この「たまたま」で、人生が動いてしまう。
それはある意味、どれだけ努力しても、最後の分岐は偶然に委ねられると諦めてしまうのか…
The skinny
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