
The Legal Paradox of National Symbols and Group Violence
「表現の自由」が暴力を免罪するのか?伊勢崎賢治氏が撃つ、日本政府の「法の支配」を巡る致命的な欺瞞
「表現の自由」は、民主主義社会における至高の価値です。しかし、この高潔な原則が、生身の人間の命を脅かす暴力の煽動を放置し、一方で国家の権威を守るための「隠れ蓑」として恣意的に運用されているとしたらどうでしょうか。
2026年7月9日、参議院内閣委員会において、公共政策の専門家である伊勢崎賢治氏は、現行の法整備が抱える決定的な論理破綻を鋭く告発しました。特定のシンボルを聖域化する一方で、生身の人間への暴力を放置する——。私たちが信じてきた「法治国家・日本」の足元を揺るがす、この致命的な歪みの正体を紐解きます。
日本は「法の支配」を標榜しながら、国際社会において極めて特異な、そして危うい立場にあります。実は日本は、G7(主要7カ国)の中で唯一、「ジェノサイド(集団殺害)条約」を批准していません。
驚くべきは、政府がこれまで批准を避けてきた際のレトリックです。政府は、他国にあるような「国家損壊罪(国旗損壊罪等)」が日本に存在しないことをあたかも問題であるかのように主張し、今回の法整備の正当性に利用しようとしています。しかし、伊勢崎氏はこの説明を「非常にミスリーディングである」と断じます。…
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