
23年前、私は38度線を歩いていた――横田基地と「朝鮮国連軍」が問いかける日本の安全保障
38度線の境界で見た「知られざる日常」と、私たちの足元に潜む「透明な有事」1. はじめに:熱に浮かされた境界線への旅
地政学的な緊張が極限に達する瞬間と、個人の身体的な揺らぎが奇妙に共鳴することがある。2003年1月、私はまさにその渦中にいた。
世界が震撼したのは1月10日のことだ。北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)からの脱退を電撃的に表明した。その翌日、1月11日。張り詰めたオゾン層のような緊張感が漂う仁川国際空港に、私は降り立った。しかし、私の視界を揺らしていたのは、国際情勢の緊迫感だけではない。ホテルの側で不用意に髪を切ったことが災いしたのか、ひどい風邪を吹き込み、体温計は「38度」を指していた。
「38度」の熱に浮かされながら、北緯「38度線」という分断の最前線へ向かう。この個人的な不運と歴史的な不条理が交錯する境界線の上で、私は自問せずにはいられなかった。「私たちは、隣り合わせにあるこの境界線の真実を、本当に知っているのだろうか?」と。
軍事境界線を挟むDMZ(非武装地帯)という言葉から連想されるのは、殺伐とした地雷原や有刺鉄線だろう。しかし、その内側には「大成洞(テソンドン)」、通称「自由の村」と呼ばれる場所に約220人の人々が息づき、平穏な農業を営んでいる。…
The skinny
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